89歳で他界した、ばあちゃん。約8年間認知症になって自宅で生活をしました。大変だった事・嫌だった事ありますが、時には笑ってしまう出来事も、そんな話をしていきます。
始まりは、平成2年
しっかり者のキクちゃん(ばあちゃんの愛称)。
働く母の代わりに、3人の孫の面倒をずっと、見てくれました。
働き者で、しっかりしすぎたせいなのか?
原因なんてわかりませんが、なにやらおかしな事を、言い始めました。
私が、看護師免許を取って、働き始めたのが、平成2年。キクちゃん81歳。
その年の、秋頃から、それは始まりました。
タンスの中から、札束が!!!
しっかり者の、キクちゃんは、自分の年金からもコツコツと、貯金をしていたそうです。
なんと、3人の孫のためにも、毎月1,000円ずつ。
毎月毎月、忘れることなく貯金をしてくれていました。
ある日何気なく、母がキクちゃんのタンスの引き出しを開けたところ。
「うわー!!ナニコレ???」と、大声で叫ぶ母・・・
たまたま、家にいた私。
『どしたん?お母さん』
「お金がーーーーある。なんで?どして?」と、母。
むき出しのお札が、引き出しの中に、バラバラと入っているではありませんか・・・
その場に固まる2人。
多分ですが、100万円近くの1万円札が、バラバラと、入っていたことを記憶しています。
『なにこれ?どしたん?』
「分からん。ばあちゃんに聞いてみよう」
郵便局が、潰れると電話があった・・・
キクちゃんは、本当にまじめな顔で、こう言いました。
固まる母と、私。
母:「はあ?何言いよると。そんなわけないやん。何言いよると。どしたん。」
しかし、キクちゃんは大真面目。
郵便局がつぶれる前に、お金を下ろさないと、大変なことになる。
貨幣価値が、変わったらどうするの?
と、私たちに力説しました。
この≪○○が、潰れると、電話があった≫と言う、フレーズはこれから先よく聞くフレーズとなります。(( ´∀` ))
貨幣価値が!!力説する、ばあちゃん・・・
これは、さすが明治生まれ。第二次世界大戦後を生き抜いてきた人の、言葉です。
戦後、国の政策で貨幣価値が変わり、一気に貧乏になった経験をしている人の言葉です。
【銭から円へ】
ずいぶん苦労したと、いつも聞かされていました。( ´∀` )
持っていたお金の価値が、ほぼ無くなり、途方に暮れたと、言っていました。
実際に、価値が変わっても、庶民には何にもできないんですけどね・・・( ´∀` )
行動自体は、正解!!
大元の、考えは間違っているのですが、行動自体は正解なところが、面白いところ(( ´∀` ))
キクちゃんの、やってる行動は、正解!!
根拠は、不正解!!
本人は、大真面目!!
でも面白いのが、他の家族の郵便局の預金に対しての、心配はしていなかった所。
家族は、心配・不安に思いながらも、大笑いした出来事でした。
母は、その後お金を自分の通帳に入れに行っていました。
この平成2年の秋口から、我が家の奮闘が始まりました。
今となっては、懐かしく、楽しく、苦しかった思い出です。
キクちゃんと、母のことを思い出しながら、また書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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